鳥栖から、どの方向へも広がっていく。家族で暮らす“自分の地図の中心”

太田 凌さん

太田 凌さん

福岡県→鳥栖市

  • 移住種別Iターン
  • 移住の時期2021年8月
  • お仕事WEBディレクター
  • 休日の過ごし方 家族でのんびり

子どもの頃、島の外へ出かけるには、船に乗り、時間とお金をかける必要がありました。
そう振り返るのは、長崎県五島列島で育った太田凌さんです。
大学進学を機に五島を出て、福岡、久留米、鳥栖、大分と暮らす場所を移し、2021年8月に再び鳥栖へ。
太田さんにとって「自分の地図の中心」ともいえる場所が、佐賀県鳥栖市です。

現在は、佐賀市にあるWebサイトを中心としたデジタルコンテンツ制作会社で、Webディレクターとして働いています。
県境をまたいだ転居ではありますが、太田さん本人には「移住した」という感覚はありませんでした。
福岡にも、久留米にも、佐賀市にも行ける。
もう少し手を伸ばしたくなったら、別の方向へ進めばいい。
鳥栖で暮らし、家を建て、家族の拠点としてきた太田さん。
佐賀市で働くようになったことをきっかけに、佐賀県への見方も少しずつ変わっていったといいます。
特別な覚悟から始まったわけではない、鳥栖を拠点にした仕事と家族の暮らしについて、太田さんに話を聞きました。

「移住」という言葉が、自分には当てはまらなかった

――これまでの経歴を教えてください。

太田凌さん(以下、太田):育ちは長崎県の五島列島です。高校卒業まで五島で過ごし、大学進学を機に福岡市へ出ました。卒業後は久留米市で働いていました。

――最初に鳥栖へ来たきっかけを教えてください。

太田:久留米市で会社勤めをしていた頃、パートナーとの新生活を始めることになって。2LDKくらいの部屋を探していたんです。そのとき、不動産屋さんから「鳥栖がいいんじゃないか」と提案されました。実際に住んでみたら、すごく住みやすかったんですよね。「あ、鳥栖いいな」って。それが最初の鳥栖でした。

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――鳥栖へ来たときに、「佐賀県へ移住する」という感覚はありましたか?

太田:ないです。そもそも「移住」というワードに当てはまらないと思っていたんですよね。今回佐賀県移住支援室からお話をいただいたときも、「絶対、自分は関係ない。なんで自分に話が来たんやろ」って。経歴まで伝えて、「本当に私でいいんですか?」と確認したくらいです。

――太田さんにとって、移住にはどんなイメージがありますか?

太田:難しいですね。定義で言うと、違う県から違う県に移り住む、というイメージはあります。でも、大学進学をきっかけに五島から福岡へ行くことって、あまり移住という感じがしないじゃないですか。どちらかというと、社会人になって仕事を変えたり、新しい仕事を始めたりするタイミングで引っ越すのが移住なのかな、というくらいで。ざっくり頭の中でそう思っていて。福岡から久留米、久留米から鳥栖のように、車で行ける範囲で引っ越しているので、自分の中では「これも移住じゃないな」と思っていました。

――確かに。県をまたいではいても、太田さんの感覚では、生活圏の中での「引っ越し」なんですね。

 

「都会は好き。でも、住むならちょっと近くの田舎」

――一度鳥栖を離れた後、再び鳥栖を選んだ理由は、どんなところにあったのでしょうか?

太田:一番の理由は、多分、住みやすかったからです。私は五島育ちですけど、皆さんがイメージするような「島らしさ」は、それほど強くないかもしれません。とはいえ、自分で言うのもあれですけど、田舎者なので。家を出たらすぐ人混み、みたいな環境は少し苦手で。

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太田:でも、都会で買い物をしたり、遊びに行ったりするのは好きなんですよ。都会が嫌いなわけではなくて、住むとなるとちょっと違う、という感じですね。住む場所は、「ちょっと近くの田舎」ぐらいが一番好きです。福岡市の大学に通っていたときも、少し離れた、地元に近い雰囲気の場所に住んでいました。多分、そういうところを目安に、住む地域を選んでいたんだと思います。

――分かります。遊びに行く都会と、毎日暮らす場所は別なんですよね。その距離感に、鳥栖がちょうどはまったんですね。

 

五島を出て知った、選択肢の多さ

――五島では、どんな子ども時代を過ごしていたんですか?

太田:学生時代は、おとなしい方だったと思います。五島には、私がいた当時はマクドナルドなどのファストフード店もなくて、遊ぶ場所もそれほどありませんでした。釣りをする人は多かったんですけど、私は全然好きじゃなくて。ほぼ家でゲームをしていました(笑)。

――福岡へ出たいという気持ちは、昔からあったんですか?

太田:叔母が福岡に住んでいて、小さい頃からよく遊びに行っていたんです。だから、ずっと福岡に住みたいと思っていました。五島にいたときは、正直、地元があまり好きではなかったんです。「早くどこかへ行きたい」と思っていました。でも、五島を離れてから帰ると、「やっぱりのどかでいいな」とか、「空気がきれいだな」と感じることもあります。

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――島を出て福岡で暮らし始めて、ご自身の感覚は変わりましたか?

太田:福岡に出てからは、やることがいっぱいあるというか、やりたいことをいろいろ選べるのが新鮮でした。授業が終わったら「ここへ行きたい」「空き時間にここへ行きたい」って、予定を組むのも楽しくて。島だと、やりたいことがあっても船に乗らないといけないし、時間もお金もかかります。その点、福岡はあまり時間もお金もかけずに、いろいろなことができる。行きたいところを調べること自体、楽しかったですね。

――「どこへ行こう」と考えられること自体が、楽しかったんですね。五島での経験があるからこそ、行き先を選べることへの感度が高いのかもしれません。

 

思っていた2倍くらいの範囲を動ける

――鳥栖で暮らす上で、便利だと感じるのはどんなところですか?

アユマ:やっぱり、本当に出かけやすいことですね。福岡方面にも、佐賀方面にも行ける。久留米や熊本方面にも行きやすい。めちゃくちゃ行きやすいんですよ、鳥栖って。

最初は、基本的に鳥栖市内で過ごすイメージだったんです。でも、実際に住んでみると、「久留米に戻って買い物できるじゃん」「福岡市までも近いんですが、近場で買い物したいときは、手前の筑紫野があるじゃん」と気づきました。佐賀市で働くようになってからは、「佐賀って思ったより近いな」とも感じました。今でも少しずつ、行動範囲が広がっている感じです。

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太田:鳥栖に引っ越したとき、いろいろな場所へ行きやすいとは言われていたんですけど、住む前はそんなに分からなくて。実際に車で動いてみたら、「思ってる2倍ぐらいの範囲、動けるな」って感じました。

――五島を出て福岡で知った「選べる楽しさ」が、今は鳥栖を中心に、いろいろな方向へ広がっているんですね。駅も近いですが、暮らすなら車があった方が便利ですか?

太田:電車でも移動できますが、車を持っているとすごく便利です。鳥栖もそうですが、佐賀は車社会なので、車があると行動範囲がさらに広がる感じですね。休日は家族で買い物へ行くことが多く、筑紫野、佐賀、久留米など、複数の方面から目的地を選べます。「今日はどちら方面へ行こうか」と、その日の予定に合わせて行き先を決めるのも楽しみの一つです。

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――鳥栖プレミアムアウトレット(以下、「アウトレット」という)のセール時などは、渋滞することもありますよね。住んでいると、混む時間や避ける道も分かってきますか?

太田:そうですね。アウトレットのセールや大雨のときは、確かに混みます。でも、長く住んでいると、「この時間はこの道が混む」とか、「このタイミングは避けよう」とか、だんだん分かってくるんですよ。そういうことを把握していけば、特に苦ではないですね。
どうしても車が混みそうなときは、逆に車を使わないこともあります。駅も近いので、肥前麓駅から新鳥栖駅へ行って、新幹線で福岡市へ行くこともできます(注)。鳥栖だけで過ごすというより、いろいろなところへ行きやすい。そこが、鳥栖の大きなメリットだと思います。
(注)鳥栖駅から博多駅まで特急で約20分、新鳥栖駅から博多駅まで新幹線で約10分

 

暮らして気づいた、知らなかった佐賀の魅力

――鳥栖に住み始めた頃、佐賀県にはどんなイメージを持っていましたか?

太田:正直なところ、当時は佐賀県について、あまり具体的なイメージを持っていませんでした。福岡で仕事をしていたこともあって、鳥栖も福岡との県境にある街、という感覚が強かったですね。

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――そこから、佐賀への見方が変わったきっかけは何だったのでしょうか?

太田:佐賀市内の会社へ転職したことがきっかけですね。県内のいろいろな地域を知るようになって、「佐賀って、思っていたより広いんだな」って。鳥栖に住んでいると、唐津のことを詳しく知らなかったりしますし、自分も佐賀県内のことを、まだ全然知らないんですよ(笑)。
佐賀は東西南北で、観光や暮らしの特色が違います。そういう地域ごとの違いが、佐賀の面白さなのかなと思います。都会のような華やかさはないかもしれませんが、自分の好きなことや興味のあるものを見つけ、それをじっくり深められる県だと感じています。

 

「覚悟を決めた」というより、鳥栖が家族の拠点になっていた

――鳥栖に家を建てようと思ったのは、なぜですか?

太田:子どもが生まれたタイミングで、将来のことを考えると、早めに建てた方がいいと思ったんです。妻が佐賀市の出身なので、妻の実家にも車で行けて、「ちょうどいいね」という話になりました。当時は福岡市で働いていたので、佐賀市から通勤するのは大変だということもあったのかもしれません。妻と話していたときも、鳥栖以外の選択肢はあまり考えませんでした。鳥栖一択でしたね。

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――家を建てることは、「これからも鳥栖で暮らしていく」と決めることでもありますよね。覚悟を決めたような感覚はありましたか?

太田:覚悟を決めるほどではなかったかもしれません。結構考えるタイプではあるんですけど、「〇〇したいな」と思ったときは、すぐに決めるんですよね。

――太田さんは、一度鳥栖を離れた後、再び鳥栖で暮らしています。実際にこの地域で暮らした経験も、家を建てる決断につながったのでしょうか?

太田:そうですね。それまで鳥栖に住んだ経験があり、周辺にもいろいろ行っていました。その中で周辺の地域とも比較して、「鳥栖がいいんじゃないか」と頭の中で判断していたんだと思います。

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――「覚悟を決めた」というより、いろいろな場所で暮らしてきて比べてみたら、自然と鳥栖が残っていた。そんな感じなんですね。

太田:そうですね。「こうしないといけないよね」という選択が、自然に進んでいった感じです。

――子育てをしながら働く上では、現在の働き方はいかがですか?

太田:すごく働きやすいです。週2回までリモートワークができ、会社にはフレックス制度もあります。例えば、子どもの体調が悪いときには、午前中に病院へ連れて行き、午後から仕事を始めたり、途中で仕事を抜けて、また戻ったりすることもできます。以前の職場では一日休まなければならないこともありましたが、今は必要な時間だけ調整できるので、すごくありがたいですね。

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――今日、ここまで来て、少し不思議でした。家からちょっと出たら、急に田園風景が広がって。「なんだ、この境目は」って(笑)。

太田:そうなんですよ。ここも、もともとは田んぼだったんです。住宅地を少し出るとのどかな場所を散歩できるので、ちょうどいいなと感じています。

――休日は、どのように過ごしていますか?

太田:休日は、ほとんど家族で過ごしています。子どもがショッピングモールへ行くのが好きなので、家族で買い物に出かけることが多いですね。妻とはパン屋さん巡りが共通の趣味で、今日のお昼もパンでした。コーヒー豆を探して買うことも好きです。子どもをきっかけにカメラを買って、撮影することも趣味になりました。

 

鳥栖は、どの方向へも進める「自分の地図の中心」

――鳥栖の面白さは、どんなところにあると思いますか?

太田:鳥栖に住んでいる人って、鳥栖の面白いところって聞かれても、「ない」って答える人がほとんどだと思うんですよ。でも、振れ幅は大きいと思います。
駅前不動産スタジアムやアウトレットには県外から人が来るので、渋滞すると「困るな」と思うこともあります。でも、場所によっては田んぼがあって、田舎を楽しめる。日常使いしやすいチェーン店もあれば、普段は少し入りづらいような小さなお店もある。山の方へ行けば自然や川遊びも楽しめる。そういう振れ幅の広さを楽しめると、面白いまちなのかなと思います。

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――友達から「鳥栖ってどんなところ?」と聞かれたら、何と答えますか?

太田:どの方向へ行っても、行き止まりにならない自分の地図の中心のようなイメージです。鳥栖市内で満足できるなら、そこで過ごせばいい。もう少し手を伸ばしたくなったら、北へ行ってもいいし、東へ行ってもいい。「こっちじゃなかったな」と思ったら、別の方向へ進めばいい。鳥栖を中心にして、いろいろな場所へ行ける。いろいろ行ってみたら、きっとどこかに好きな場所が見つかるんじゃないかなと思います。

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――新しい場所へ動くとき、太田さんが大事にしていることはありますか?

太田:生き方のテーマとか、格言みたいなものは全然ないです(笑)。でも、動かずに耐え続けるのが一番よくないと思っています。進むのも逃げるのも、どちらでもいい。とりあえず動いてみる。やりたいことはやってみる。その上で「楽しそうだな」とか、「動いたらどうなるんだろう」とワクワクしたときは、すごく動きます。自分のために動くことが、一番大事だと思います。

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――太田さんは、佐賀を好きになって住んだのではなく、住んでいたら佐賀を好きになった人、ということですか?

太田:まさに、そのイメージですね。

――最後に、これから移住を考えている方へメッセージをお願いします。

太田:まずは鳥栖に来てもらえたら、鳥栖の魅力も分かるし、鳥栖以外の魅力も分かると思います。「移住するぞ」とすごく気負うんじゃなくて、観光気分で来てほしいですね。「ちょっと行ってみようかな」くらいの気軽な感じで来てもらえると、すごく嬉しいです。

――本日はありがとうございました。


文章・写真:山本 卓

公開日:2026年10月29日
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