ライフステージの変化に合わせて「自分たちも通いたい」飲食店の理想も変わっていきました

小林 健志さん

小林 健志さん

福岡県武雄市

  • 移住種別Iターン
  • 移住の時期2022年
  • お仕事ワイン食堂(イタリアンレストラン)経営
  • 休日の過ごし方 飲食店を巡って勉強、農家さん訪問、温泉

佐賀県武雄市。2022年、武雄市役所の斜向かいの好立地に、ワイン食堂(イタリアンレストラン)『cobacini』が誕生しました。「福岡で一所懸命働いてきたのは大前提なんですけど…」とオーナーシェフの小林健志さん。「佐賀県は、ビジネスにおいてはブルーオーシャン。都市にはあるけど佐賀にはまだないモノ、コトは非常に多く感じます。起業したい人にとってはそこがアピールになるんじゃないかと思っています」
これから飲食店を始めたい方、地域で働く、暮らすことに興味がある方の、ご参考になるようなインタビュー記事です。夫婦が互いに尊敬し合いながら、今この二人でしか、武雄でしかできない飲食店の経営を楽しむ小林さんの、人生ドラマをうかがいました。

「都会で働きたい、暮らしたい。勢いだけで駆け抜けた20代でした」

-- ご出身はどちらでしょうか。

小林健志さん (以下、小林):出身は福岡県の飯塚市です。武雄市より人口は多いんですけど町の雰囲気は似ています。落ち着いた住宅街と適度な商業施設があり、住みやすい町です。でも若い時は、そこを出たくてしょうがなかった。

-- 人生一度は都会に、というやつですね。

小林:やっぱり無性に、都会に住んでみたかったんですね。飲食の専門学校で大阪に出て行って、卒業後は福岡市内に住んで。24時間ずっとお店が開いている町ですから仲間たちと朝までお酒を飲んだりカラオケに行ったり、お金はなかったけど、ただただ楽しかった。

-- 青春ですね。お仕事はやはり飲食関係ですか?

小林:はい、得意なことは料理しかなかったので。最初はアルバイトで、そろそろ正社員にと声がかかるようになったのが22、23歳の頃だったかな。

-- 今につながる、イタリアンのお店でしょうか。

小林:いえ全然。2010年代に福岡餃子ブームというのがあったんですけど、その火付け役のような「一口餃子」のお店に誘っていただきました。おそろしいほど売り上げがあってスタッフも同世代の若者が多くて、とにかく勢いがありましたね。

-- なるほど。そういう環境にいたからこそ…。

小林:はい、自分も挑戦したい、という気持ちが湧いてきました。都会で働く。ということが自分にとってひとつ大きな挑戦だったけれど、これはもう実現した。だったら、もっと挑戦したいことがあるんじゃないか、高みを目指していいのではないか。27歳の頃だったかな、そう考えるようになりました。

-- 勢いのある餃子屋さんで体感した勢いをそのままに、独立を志すのですね。

小林:お金も全然なくて、親族からの支援と、父親が保証人になってくれて銀行から借りたお金、合わせて600万円だけ。飲食業で600万円って何もできないんですよ。あるのはただの勢いだけ。ちっちゃな7坪くらいのスペースを借りて、店舗に扉すらついていない状態で、初めての開業をしました。

-- 今につながるイタリアンのお店ですね!

小林:いえ、キッシュのお店です。

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(飲食店経営、失敗も成功もあるけど、大切なのは「根性」と言う小林さん。伸び代だけを見続けて努力した結果が今、だそうです。)

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(cobacini外観と、奥様の美希さん。火曜日定休、土日月は昼夜営業、水木金は夜営業です。)(2025年8月現在)

「モテたい気持ちが、賑わいを生み出す原動力になりました」

-- キッシュって、甘くないケーキみたいな料理ですよね。なんでまたキッシュで勝負を?

小林:ひとつは、お金がないからテイクアウトのお店をやろうと思ったこと。キッシュならテイクアウトに適した形状で、小さな店舗でもできるかなと思いました。

-- もうひとつは?

小林:モテると思ったんですよ(笑)

-- キッシュって、響きがオシャレですもんね。

小林:あとはもう、勢いしかなくて。売上の予測計算もオープン3日後くらいに初めてやってみたんですよ。1個250円のキッシュを、当時の僕の能力だと1日74個しか生産できません。そうすると、1日あたりの売上が最大18,500円にしかならない。

-- 気づいて良かったですね。

小林:1カ月30日休まず働いて、毎日完売したとしても自分の手元に残るお金が10万円くらいにしかなりません。これはヤバいと気づいて作戦を練り直しました。単価を上げたり、スタッフを入れて生産数を増やしたり。そうこうしているうちにデパートの催事担当の方に目をかけていただくようになり、ちょっと落ち着きました。当時の僕は行き当たりばったりで、今思うとヤバい経営者なんですけど、競合のいない隙間を狙い続けることはできていたのかな。そこだけは唯一、褒めてあげてもいいと思います。

-- キッシュ専門店は飲食店激戦区の中で異彩を放っていたのかもしれませんね。

小林:とはいえ、キッシュは単価に限度があります。そこで、ドリンクも提供して客単価を上げようと、30席くらいの大衆ワイン酒場を始めました。最初はキッシュのお店の客層でもあった女性客を強く意識したコンセプトだったんですけど、どうやらお酒をいっぱい注文してくれるのは、もう少し年齢層が上のおじ様方だということがわかってきました。そこに照準を合わせ直すことでようやく、賑わいが生まれて、経営が波に乗り始めました。

-- 小林さんのワイン食堂は、周囲の飲食店と何が違ったのでしょうか。

小林:一番は、根性かな。若い頃は料理の実力はさしてありませんでした。それは自分自身でもよくわかっていました。じゃあ、自分にできることは何か。来店されたお客様に、楽しく心地よく過ごしていただく空間を提供する。そこに手を抜かないということは頑張りました。スタッフにも「常に加点を狙おう」ということは、ずっと言い続けました。来店された時のあいさつ、料理を出す時、お酒を注ぐ時、お皿を下げる時の、何気ない声かけ。全部が加点のチャンスです。減点を恐れずに挑戦し続けることで、総合的に満足していただけるお店にはなったと思います。

-- 根性、というと泥くさい表現に聞こえますが、相手が喜んでくれる行動を丁寧に繰り返し続ける真心という風にとらえると、小林さんの真摯な人柄が理解しやすいように思います。

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(見たらわかる。絶対にうまい、自家製生パスタです。昼間からでもワインが飲みたくなりますね。)
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(子どもが大きくなっても、いつでも帰ってくることができる「実家」を作ってあげたいという思いも、移住を後押しした大切な理由でした。)(※写真:加田龍太朗)

「年齢を重ねて、作りたい料理、理想の働き方の、ステージが変わりました」

-- 飲食激戦区でいよいよ経営が安定の兆しを見せました。ところが、小林さんは移住という選択をされます。きっかけや理由があれば教えてください。

小林:ひとつは、妻と出会ったことです。

-- 今日も横にいてくださってますね。どういう方ですか。

小林:1人の人間として自立している人がいいなと思っていて。飲食店は、経営がいい時はいいけど、苦しい時もある。武雄で言ったら、農繁期になると客足が遠のいたりすることもあります。そういう時に「いいよ、私も頑張るよ」と言ってくれる、そんな女性です。もうひとつ、移住を考えた理由は、福岡のお店でできることはかなりやり切ったように感じたことです。

-- と言いますと。

小林:若い時は、自分自身も外食することが楽しくて、まさに自分が作ったようなお店が好きだったんですけど、年齢が上がってきて、妻と家族になって、子どもが生まれて。その過程で、プライベートで行きたいお店も変化してきました。自分も、こういう料理を作りたいな。こういうサービスを提供したいな。そう感じた時に、果たして軌道に乗った福岡のお店を、個人的な生活の変化に合わせて変えていくことが正しいのかどうか。

-- 土地柄もありますし、今のお店が好きな常連さんもいらっしゃるわけですね。

小林:なので、常連の方々を置き去りにしないよう、今ある店舗は10年間一緒に頑張ってくれたスタッフに引き継いでもらって、自分は次のステージに挑戦させてもらうという結論に落ち着きました。

-- 佐賀県の、武雄という土地を選んだ理由について教えてください。

小林:妻の実家があるということが一番大きな理由です。何度か帰省したり、里帰り出産の時にもお世話になりました。これから子どもが大きくなっていく中で、妻の実家のサポートがあると非常に助かります。もうひとつは、福岡から遠い、ということがあります。飲食業をやっていると、福岡の引力は強すぎるように感じます。経営的な観点でも、「じゃあ福岡に行こうか」とはならない、近すぎない土地という条件に合っていました。

-- ここでも「競合を避ける」という経営戦略は貫かれているのですね。もちろん、地域の中には福岡の有名店にも負けない素晴らしいお店もたくさんありますが、バリエーションの観点では、比較的チャンスがある、と言えるかもしれません。

小林:ブルーオーシャンだと思います。福岡にはあるけど、佐賀、武雄にはまだない。そういうチャンスがあることは、起業を目指す方、地方への移住を考えている方にはアピールになる情報ではないでしょうか。

-- 暮らす場所としての印象はどうですか。

小林:めちゃめちゃ人が優しいなと思いました。横断歩道で待っていると、車が止まってくれるんですよ。福岡に住んでいた時代はペーパードライバーだったから、交通ルールをよく理解していなかっただけなんですけど。でもその感動をきっかけに、佐賀の人、武雄の人は優しいなという印象を持っていて、それは今も変わっていません。

-- 福岡の暮らしと、変わったことはありますか。

小林:今思うと、福岡では人の距離感が近すぎたなと思います。繁華街の中でお店をやっていて、賃貸マンションもお店のすぐ近くに契約していましたので、周囲が濃い知り合いだらけ。1メートル歩くと知り合いに声をかけられて、一所懸命にお話をしているとなかなか前に進めない。そんな感じでした。武雄の方々はもちろんあいさつはしてくれるんですけど、ほどよく距離感があります。寂しくも感じないし、大変だとも思わない。絶妙な距離感だと思います。

-- 車社会だから、すれ違っても立ち話になりにくいということはあるかもしれません。お子さんは、住む場所が違っても変わりありませんか。

小林:福岡にいたのは3歳までだったから、本人も特に何かを気にしている様子はありませんでした。幼稚園の園庭は広くなりましたが、それも気づいていないくらいだと思います。ただ、自宅の庭は喜んでくれているかな。私も妻も、一軒家で育ちました。武雄に移住して、BBQや、プールを出して水遊びができる、広い庭を作ってあげられたことにはとても満足しています。

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(料理は小林さんが、ホールでのサーブは美希さんが。二人三脚の経営です。)

「自分たちが行きたいお店をつくる。佐賀でしかできない、生き方、働き方です」

-- 佐賀県武雄市で開いたワイン食堂『cobacini』、どんなお店にしていきたいですか。

小林:お客様に対して「真面目に誠実に」を心がけてやっていくということは、オープンして3年と少し、ずっと変わりませんしこれからも同じです。そう考えると、逆に伸び代しかないように感じられてくるんです。

-- お店のどんなところを伸ばしていきたいのでしょうか。

小林:まずは、料理の質を高めること。

-- 福岡時代よりさらに経験と研鑽を積まれて…「料理の美味しいお店」としての認知はよく耳にするところです。

小林:記念日は必ず『cobacini』に行こうね、と言ってくださる常連のお客様もいます。そういう方のためにも、来るたびに新しい感動をしていただく料理を作りたいです。

-- 佐賀県は食料自給率が99%(※)と、全国平均を大きく上回っています。食材の確保という面で料理の質に影響がありますか。

小林:もちろんです。その日の朝に収穫した野菜をその日のうちに届けていただけるので、都市部で使う野菜と鮮度が違います。また、生産者さんと世間話をできる関係性にもなり、一所懸命作られた野菜をもっと美味しい料理にしたい気持ちがあります。おのずと、料理に力が入っています。せっかく佐賀に移住したのだから、少しでも地域の経済活動に貢献できたら嬉しく思います。このように考えられるようになったことも、地域でお店を出したからこそです。

-- 都会に憧れて、都会でガムシャラに頑張ってきて。そして地元と雰囲気の近い地方都市に移住したことによって、ついにその視点に至ったことを思うと、人生はドラマだなぁと思います。次に、伸ばしていきたいと考えていることはなんでしょうか。

小林:飲み物の質と、接客の質です。飲み物の質に関しては夫婦でソムリエの資格を取りました。妻はInstagramで「取ります!」と宣言して自分自身を追い込んでいましたが、無事に資格取得してくれて一緒にお祝いしました。私は料理もありますから、妻が料理との相性を考慮しながら、より楽しい体験をお客様に提案してくれる。そういう分担ができているので本当にありがたいです。

-- 最後に、接客の質です。

小林:僕は妻の接客の能力をすごく尊敬しているんです。

-- どんな接客なんでしょうか。

小林:たとえば、若い時って、ちょっとスカした感じの、カッコイイ接客をしたくなりがちじゃないですか。

-- そうなんですね。

小林:カッコイイ振る舞い、料理の運び方とか、そのためのお皿の支え方みたいな技術的なことは訓練で身につきます。でももっと大事なのは心だと思っています。妻は服飾の接客業出身です。飲食の接客は、したことがなかった。でも、服と、料理やワイン。扱う商品が違っても根本の大切な気持ちは一緒だと考えています。

--  なるほど。スタイルや技術は身につくけれど、「愛」みたいなものは教えられて急に身につくものではないということですね。

小林:妻のその能力、愛情を僕は100%信頼していているんです。僕がしたい接客に、一番ピッタリ近い人。

--  なくてはならない理想的なパートナーですね。

小林:出会った当初、このお店を始めた当初も妻は僕の仕事を「一所懸命手伝おう」という感覚だったんだと思います。そうじゃないよ、と言い続けています。2人でやっている『cobacini』。僕1人じゃできないお店。あなたは素晴らしい。あなたがいて初めて、このお店が成り立つんだよ。ということは常々伝えていて、じわじわと、妻もそういう気持ちに変わっていってくれたと思います。

--  素晴らしい信頼関係ですね。改めておふたりが考える、理想のお店は、どんなお店なのでしょうか。

小林:いつも妻と話しているのは、今、一番、自分たちが行ってみたいお店にしよう。ということです。自分が客としてこのお店にきたら…3年間、毎日それを考えながら、改善を続けています。そういう視点だと、伸び代がいっぱいあるんです。僕も家族も、福岡時代とは違う感覚の中で生きているし、人生のステージも、この後もどんどん変わっていく。その変化を楽しみながら、武雄のこの場所でしかできないワイン食堂を考え続けたいです。

-- 人生のステージの変わり目に、都会ではない、ちょうどいい武雄を選ばれたことは、小林さんご夫婦にとってぴったりの選択肢だったことがよく伝わりました。地域に素晴らしいお店を開いてくださってありがとうございます。私も妻との特別な時間に、『cobacini』を訪問したいと思います。

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(24時間、家庭でも仕事でも夫婦一緒の小林さん。キツくないですか?と聞くと、「24時間ずっとデートです。最高でしかありません」とのこと。)

 (※)農林水産省「都道府県別食料自給率」(カロリーベース、R4年度概算値)

文章:いわたてただすけ
写真:野田尚之 / 加田龍太朗(文中家族写真)

公開日:2025年08月19日
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