外の世界を見てきたからできること。故郷の魅力をもっと広げていきたい。

深海 宗佑さん

深海 宗佑さん

東京都(佐賀県出身)有田町

  • 移住種別Uターン
  • 移住の時期2021年
  • お仕事株式会社深海商店
  • 休みの日の過ごし方 武雄図書館で読書

コロナの感染拡大を受けて、多くの人が自分の働き方や価値観を揺さぶられました。「いずれ地元に帰りたい。」「自分のスキルを地域で活かしてみたい。」そう考えている人も少なくないはず。
佐賀県出身の深海宗佑さんは東京の経営コンサルティング会社で働いた後、生まれ育った有田町に戻り、家業を継いでいます。焼き物の伝統が続く有田。そんな故郷で人との関係性を紡ぎ直していくこと、地域で働くことについて、考えを聞きました。

久しぶりに戻ってきた故郷のビフォーアフター

ーーご自身の家業を継がれたと聞きました。戻られたきっかけは何があったのでしょうか。

深海宗佑さん(以下、深海):家業をいずれ継ぐ予定で東京で就職しましたが、このタイミングで帰ってきたのには、3つの理由があります。まず前職で働いていて、表彰を受けたり、部署に大きな貢献ができたりとある程度の力がついてきた手応えを得ました。今、帰ったら、中小企業を支援してきた経験を活かせるんじゃないかなと。また、2016年が有田焼400周年だったのですが、町全体で様々なプロジェクトをしていることを友人のSNSの投稿を通して見ていました。新しいことにチャレンジしようとしていて、有田も変わろうとしてるなと感じました。さらに、コロナで社会全体の価値観が変わってきたことで有田に戻ることを決めました。

 

ーー帰ってこられて、地域の印象に変化はありましたか。

深海:現在、家業である窯業を仕事にしていますが、僕が地元を離れた2010年頃はリーマンショックの影響で窯業界は壊滅的なダメージを受けました。そのせいで町は非常に暗くどんよりとした雰囲気だったように思います。でも、帰ってきたら新しいお店ができていたり、地元を離れた当時は知りませんでしたが、窯業界の素晴らしい腕を持った人が多くいらっしゃることに気付きました。それがまるで宝石を見つけていくかのようで、今は出逢いにワクワクしています。

 

ーー有田の町と密に繋がりのある窯業界は、伝統があるからこそ若者は窮屈に感じたりしそうな気もするのですが...周りの方の反応はいかがでしたか?

深海:窮屈さを感じないわけではないですが、一方で、周りの方々の応援がとても嬉しいです。家業とはいえ窯業の知識ゼロで帰ってきたので、お客さんにあいさつ回りをしたり、関連のセミナーに出席したりすると「頑張ってるね」と応援してくださいました。その頃、ちょうど、メディアにも立て続けに出させてもらうことがあって。町中で「見たよ!」とよく言ってくださって、町の方々にすごく応援してもらってるなと感じます。

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ーーメディアはどういった経緯で出られたのでしょう?

深海:最初は、学生時代の知り合いに紹介してもらって唐津のラジオに出させてもらいました。他にも、有田町の商工会議所が主催している「伝トーク!!」という番組に出演して「有田陶器市」をテーマに話したんです。ケーブルテレビってすごくて、1週間に20回くらい放映されるんですよね。他にも佐賀新聞さんやNHKさんに特集していただきました。

fukaumi03.jpghttps://www.arita.jp/dentalk/

 

外と有田をつなぐ通訳者に

ーー故郷に戻ってこられた深海さんが、ご自身の経験を活かしてどのようなことに取り組んでいるのか気になります!

深海:「Arita Dining」という有田焼の伝統のダイナミクスさとその魅力を体験できるイベントを開催しています。
イベントは歴史名所巡り、有田焼を使った食事、窯元巡りで構成されています。有田焼は時代を超えて受け継がれていて、17世紀中頃や明治時代には世界中がこぞって求めました。17世紀にはヨーロッパの宮殿での装飾の需要が多くあり、大型の焼き物を製造する必要がありました。それに応じるために窯の構造まで変えているんです。こんな風にずっと変化をしながら続いてきたのが有田焼なんです。そういった変遷を経た上で目の前の器があると思っていただけると、器1枚の価値がとても高くなるんじゃないかと思います。
今年は海外の方向けに九陶(九州陶器文化館)をご案内した後、有田焼の器を使いながらフレンチを振る舞います。その時に、料理についてはシェフから、器については窯元さんから説明をしてもらい、翌日は窯元も巡るツアーを予定しています。

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ーー聞くだけでワクワクするイベントですね。町内外を超えて盛り上がりそうです。まさに、そういった企画を進めている中で、感じたことはありますか。

深海:僕は、ものをつくらない業界にいたので、窯業界に入って、有田焼の技術力の高さに感動しています。ただ、ものづくりには卓越していても、例えば、マーケティングやPR等に関しては町内では磨きにくいと思います。素晴らしいものづくりの技術があるので、それ以外のスキルを持った人が地域に増えて、外に発信できるようになれば、もっと多くの人に魅力を伝えられることができるのではないかなと思います。

 

ーー地域に魅力があるのに、発信する手段を持てていないことってありますよね。まさに、外で培ったスキルを活かそうとしている深海さんが心がけていることはありますか?

深海:「郷に入れば郷に従え」という言葉があります。東京は東京の仕事のやり方、地方は地方の仕事の進め方があると思います。だから、東京や別の地域ではこんな仕事の進め方だったからと、移住先でも同じ様にやろうとするとうまくいきません。なので、いかに有田のやり方に溶け込むかは重要視しました。また、私自身は”通訳”の立場でもあると思っています。外部から来たスキルのある方が存分に有田でその力を発揮できるように、介在する役割です。そうする事で有田の技術力と外部のビジネススキルの歯車がうまく嚙み合い、有田焼産業も発展するのだと思います。

 

ーーお話しを聞いていると、地域や有田焼そのものに傾ける深海さんの情熱をものすごく感じます。

深海:理由として、深海家の功績を尊敬していることが大きいです。ちゃんと調べ始めたのは有田に戻ってくる3年くらい前だったんですけど家系の歴史をたどっていくと、混沌とした時期に新しいものを生み出してきたなと。深海家の先祖は、有田焼の2大陶祖と言われている内の一人、百婆仙(ひゃくばせん)(1561年-1656年 / 明宗16年-明暦2年)です。豊臣秀吉の朝鮮出兵で韓国から有田に連れてこられ、言葉も文化も大きく異なるのにもかかわらず、有田焼を生み出しているんですよね。他には明治時代の人物に深海墨之助(ふかうみすみのすけ)(1845-1886 / 弘化2年-明治19年)と深海竹治(ふかうみたけじ)(1849-1898 / 嘉永2年-明治31年)という兄弟がいます。明治維新直後の日本が大きく変わろうとしている時に、日本初の陶磁器の会社である合本組織香蘭社の創設メンバーとして、ウィーン万博(1873年)に出展し、フィラデルフィア万博(1876年)では金賞を授賞しています。さらに、竹治に関しては帝室技芸員(今でいう人間国宝)の内定もいただいています。そういうのを調べていくと、自分もこんな風になれたらなと強く思うんです。

 

ーー地域をより良くしていきたいという熱意は、世代を超えて受け継がれたものなのでしょうね。深海さんも、これからの歴史のページをめくる一人として頑張ってください!

深海:ありがとうございます。有田焼の魅力が伝わっていったら嬉しいです。振り子がどんどん大きく振れる様に、自分の取り組みが徐々に広がっていけばと思います。

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fukaumi07.jpg※この2枚の写真は有田の写真家:壱岐成太郎(https://www.instagram.com/seitaroiki)氏の撮影。「有田で頑張っている若手の仲間に撮ってもらって気に入っている写真です」

 

自分の住む地域を大切に思えれば、場所は関係ないです

ーーこれまでお聞きした深海さんのお話しを、移住を考える人が読んでくださると思うのですが深海さんは故郷に戻ってこられましたよね。もし、そうではなく地域に縁が無かった場合も、仕事や暮らしを楽しむことはできるでしょうか。

深海:「その地域を良くしていきたい」と思っていれば、どの地域であっても移住後、暮らしを楽しめると思います。なにかを成し遂げたい、という思いさえあれば地方に来ても変わらないです。

 

ーー最後に移住したい方に向けてメッセージをお願いします!

深海:そうですね... これは強くお伝えしたいんですが、地方の方がチャンスにあふれています!首都圏だと埋もれてしまいますが、地方だと競合が少ないからです。僕も東京にいたら過去1年半で20回もメディアに取り上げられたり、たくさんの人に応援してもらえることもなかったです。もし、志をもって移住をしたけれど...と悩んでいる方はいつでも声をかけてください!相談に乗りますよ!

 

インタビューを終えて

移住支援のサイトを見ると、魅力的な言葉が溢れていて、つい迷ってしまいますよね。私も実は移住者の一人で、どこが良いのかなと悩みました。もちろん、暮らす場所を変える目的は人それぞれですが、地域を大切に思えれば、応援してくれる人や出逢いにきっと溢れているんだと思います。深海さんのように、一人ひとりが地域に思いを寄せていけば、地域の魅力は確実に広がっていくと感じました。

 

聞き手・文章:草田彩夏
写真:本人提供・壱岐成太郎(https://www.instagram.com/seitaroiki

公開日:2023年08月07日
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