陸上競技に打ち込んだ学生時代。自分を育ててくれた場所に恩返しをしたい。
山田 泰嗣 さん
東京都→佐賀市
- 移住種別Uターン
- 移住の時期2019年
- お仕事株式会社 佐賀古湯キャンプ 施設統括マネージャー
長距離走の選手として、箱根駅伝に出場した経験もある山田泰嗣さんは、約30年間暮らした関東から佐賀へUターン。現在、県内有数の温泉地・古湯にある複合合宿施設「SAGA FURUYU CAMP」で、これまでの多彩な経験を生かして働かれています。ベースにあるのは自分の人生を形づくったスポーツや地域への思い。長年のライフワークとして、佐賀でも陸上競技大会の運営をサポートするなど、穏やかながら熱いビジョンをもって活動されています。
走ることから始まった道
箱根駅伝に出場経験があると聞きましたが?
中学時代は野球部に入って、時々、陸上部の大会に駆り出されているうちに陸上競技にはまり、高校で陸上部に入り本格的に走り始めました。この頃から「箱根駅伝に出たい」と思うように。大会出場を目指して、関東にある国公立大という条件となると、進路は自然と絞られていきました。大学は、筑波大学の体育専門学群という学部です。陸上競技部で活動した4年間、箱根駅伝大会では1年から3年まで予選会に出て落選。4年時にやっと本大会に出場できました。
今も陸上競技などのスポーツには裏方で関わっていますが、正月にあるこの大会を通して、昔の仲間と連絡しあい、新年をスタートできるのは嬉しいことです。
関東ではどんなお仕事をしていましたか?
大学卒業後、大学院を経て株式会社タニタに就職し、14年ほどお世話になりました。大学で体について学んだ運動生理学の知識などを商品の開発にも生かせたらと思い、志望しました。営業、マーケティング、商品企画などが長かったですね。
次の仕事はカフェ経営です。東京の文京区にお店を開いていました。出版社が多いエリアで、社員さんや地元の方によく利用していただいていました。
もともとお店の経営には興味があって、カフェをやろうと思い立ちました。メーカーで働くことは国内外のお客様を対象にした大きな仕事で、それも魅力的でしたが、もっとお客様が見える中で仕事をしたいという思いがあったんです。1店舗だけで、地域密着型のカフェとして営業していました。10年間続けて、Uターンを機に2019年末、お店を畳みました。
現在はどんなお仕事をしていますか?
佐賀に帰ってきてからは、佐賀市の古湯温泉にある旧富士小学校をリノベーションした施設「SAGA FURUYU CAMP」の施設統括マネージャーを務めています。ここは、学校や企業などの団体様が合宿や研修に利用できる宿泊施設として、2020年4月にオープンしました。サテライトオフィス、カフェなども備える複合施設です。
僕は現場の運営が円滑に進むように管理する立場ですが、具体的にはスタッフの労務管理や設備の運転状況の報告、行政との調整など、仕事内容は多岐に渡ります。
旅館組合や地域の方々とも連携した活動も。ここが町民の皆さんに気軽に立ち寄ってもらえる場所になるよう、また地域の交流の拠点になるような役割も担っていきたいと考えています。
「いつかは地元に帰る」そう決めていた
佐賀に帰ってきたきっかけは?
東京にいるときも、佐賀のニュースや、地元の知り合いたちが活躍している様子をちょくちょく見ていました。空港まで送り迎えしてくれる両親の自家用車の運転や、体の衰えも気になり、そろそろUターンを考えないと…と「さが移住サポートデスク」の東京窓口に相談しに行ったのがきっかけです。その際に佐賀や東京などに拠点をもつ「EWMファクトリー」のスタッフと知り合い、「古湯温泉に新たな施設の計画がありますが、仕事をしてみませんか?」とお誘いを受けたんです。社長は高校の同窓会でお会いしたこともあったので、お話がとんとん拍子に進み、東京からの転居と、同社が運営する施設への転職を決めました。「いつかは佐賀に帰るんだ」という気持ちはずっとありましたし、地元でスポーツや陸上競技に関わりながら生活するのもいいなと思っていましたので、迷いはなかったですね。
どんな思いで仕事に取り組んでいますか?
合宿用の宿泊施設であるSAGA FURUYU CAMPは、スタッフもスポーツの経験者が多いので、どういうところに気を配ったらいい合宿になるか、考えながら対応しています。僕の経験からも、合宿って普段と違った環境で集中的に取り組むので、合宿期間で一皮むける、成長するきっかけをつかむようなときがあるんですよね。
大事な機会をこの施設が担えて、多くの選手の記憶に残ってもらえたら。そして、大人になって古湯にまた足を運んでくれたらいいなと理想を持っています。
陸上選手時代から、健康に関する商品を開発するサラリーマン時代、地域のつながりを重視したカフェ経営…。今の仕事は、これまでやってきたことがすべて集約される、そんなイメージです。
地域とスポーツへの思いで活動
休みの日は何をしていますか?
地元で陸上競技の大会をやっている時は、審判員として顔を出しています。 陸上競技は種目数が多いので、受付やスターターなど多くの審判員が必要で、大きな大会になるとトラックとフィールドを合わせて100名以上の審判員が必要になるほど。
佐賀では、2024年に国スポ(国民スポーツ大会。「国民体育大会(国体)」の新名称)が開催されるので、運営体制も整えなければなりません。審判の育成などに力を入れていくよう準備が進められていて、私も何かお手伝いしたいと思っています。
佐賀陸協で裏方を続けるのは、自分がお世話になった陸上競技に対して、恩返しの気持ちが大きいですね。高校時代、運動場に練習に行くと現地の人に混ざって練習させてもらったことで、だんだん成績も上がっていきました。いろんな人脈を作ってこれたことなども含めて、今度は自分を育ててくれたスポーツに貢献できれば、と思っています。
佐賀での生活はいかがですか?
帰ってきて1年半。10代の頃は運動場との往復が多く、自転車中心の生活で、佐賀のことはまだ知らないことも多いんですよね。その中でも行ってみてよかった場所は、「ひがさす」です。広々として有明海岸が一望できて気持ちがいいです。あと、天山にも初めて登りました。天気がいいと佐賀を見渡せるし、地域が視覚的に確認できていいなあと思って。そのうち山歩き会なども企画できたら。
SAGA FURUYU CAMPは民間運営ですが公共的な立場という面白い拠点だと思い、仕事もやりがいを感じています。地元の方と話をする機会も多く、地域に根ざした活動でよく話題になるのは人口減少問題。古湯温泉は佐賀市内でも人口減少・少子高齢化が最も進んでいる地域と聞きましたので、もっと若い人を雇用したり、地元雇用の機会など増やしてこの拠点が貢献できるようにしていきたいですね。
佐賀への移住を考える人にアドバイスはありますか?
地元で何かやりたいと思ったときに行動に移すことは大事だと思います。そのうえで「これ、誰に聞いたらいい?」と迷った時、キーマンにたどり着きやすいのは、佐賀にいるメリットですね。東京ではあまり考えられませんでしたが、佐賀では「あの人を紹介してあげようか」などと情報が得られて、協力者やいろんな人とつながっていく地域性があると感じます。
よく地方では「人間関係がせからしい(面倒くさい)」などと言われることもありますが、僕はそうは感じません。実現したいことがある人には仲間づくりがしやすい土地柄だと思っています。
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これが私のお気に入りショット
「東与賀干潟ビジターセンター ひがさす」がある有明海沿岸の風景。広々として、干潟が一望できます。たくさんの野鳥や生き物も見られて、自然環境が気に入っています。
参考サイト
インタビューを終えて
山田さんにお話を聞くうちに、陸上競技や就職、自営業などさまざまな場面で、挑戦を続けてこられたのだろうなと尊敬の念をおぼえました。
佐賀へのUターンも大きな決断だったと思いますが、「いつかは帰る」と佐賀に視点があったことや、仕事の枠を超えた新しい取り組みも印象的でした。「何か少しでも興味のあることや得意なこと」を軸に、一人一役でも何かやってみることの必要性を考えさせられました。
(取材・文:高橋香歩)